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札幌高等裁判所 昭和26年(う)356号 判決

控訴人 検察官 原田重隆

被告人 鎌田ミキエ

弁護人 百瀬武利

検察官 佐藤哲雄関与

主文

本件控訴はこれを棄却する。

理由

検察官原田秀隆の控訴趣意は別紙のとおりである。

右控訴趣意第一点について

本件記録に徴すれば、所論の如く、起訴状記載の公訴事実は三回に亙る地代家賃統制令違反の事実であるが、原審第四回公判期日において立会検察官は裁判所の許可を得て右事実中第二の訴因(被告人は昭和二十四年十一月初旬頃札幌市南五条東二丁目自宅に於て藤平良子に対しその所有家屋内二階三畳間一室を貸与するに際り北海道知事の認可を受けないで家賃の額を一日金二百円と定め賃貸借契約を結んだ)に対し昭和二十二年勅令第九号第二条違反の訴因(被告人は前記日時前記自宅に於て藤平良子との間に同人に部屋を提供して売淫せしめその収益金を同人と四分六分の割にて分配することを約し以て婦女に売淫をさせることを内容とする契約をした)竝びに罰条を予備的に追加したところ、原判決は前者については犯罪の証明なしとして無罪の言渡をなし、後者については、これと前者とは刑事訴訟法第三百十二条第一項にいわゆる公訴事実の同一性がないから、適法に審判の対象として裁判所に係属しなかつたものとして何等の裁判をしなかつたことが認められる。ところで右地代家賃統制令違反と昭和二十二年勅令第九号違反の両訴因は次にのべる如くその間に公訴事実の同一性がないと解するのが相当であると思料されるから、後者は適法に裁判所に係属したものとは認め難く、従つて原判決は刑事訴訟法第三百七十八条第三号にいわゆる「審判の請求を受けた事件について判決をしなかつた」場合に該当しないものというべきであるから論旨は理由がない。

右控訴趣意第二点について

然らば次に右地代家賃統制令違反の訴因と昭和二十二年勅令第九号違反の訴因との間に公訴事実の同一性がありや否やにつき考察するに、公訴事実の同一性とはその基本である事実関係において同一であることを意味するものと解すべきところ、右両訴因の事実関係を比較対照すれば、両者はたまたま契約の当事者、日時、場所および、部屋を提供する点において符合するところがあるが、その基本となる点においては前者は一日二百円の賃料で二階三畳の間一室を貸すことを約したという事実で後者は売淫をさせ利益を四分六分の割合で分けることを約したという事実で基本的には両者は明らかに各別個の事実関係を形成しているものというべきであるから右両訴因の間には公訴事実の同一性はないと解するのが正当である。従つてこれと反対の見解に立つて原判決に理由のくいちがい乃至は刑事訴訟法第三百十二条第一項の解釈適用を誤つた違法ありとなす論旨にはにわかに賛同し難い。

右控訴趣意第三点について

右の如く地代家賃統制令違反の訴因と昭和二十二年勅令第九号違反の訴因との間には公訴事実の同一性がないものと解すべきに拘らず原審が第四回公判期日においてその同一性ありとして立会検察官に対し前者の訴因に対し後者の訴因並びに罰条を予備的に追加することを許したのは、刑事訴訟法第三百十二条第一項の規定に違反するものといわねばならない。しかしながら右両訴因につき立証の責に任ずべきものは原審検察官であり、しかも許可したのはあくまでも予備的な訴因の追加であつて右両訴因の中何れを採用するかは今後なお原審裁判官の自由裁量に委ねられているのであるから、原審検察官としてはたとえ予備的訴因である後者が採用せられると確信し且同訴因につき十分な立証がなされたとしても、前者の訴因についても十分な立証をなすべく努力すべきであることは勿論であるのみならず本件記録を精査すれば、原審検察官は本来の訴因である前者につき十分な立証を尽したことが推知されるから、右の訴訟手続の違法が直ちに所論の如く原判決に影響を及ぼすこと明らかであるとはいい得ない。論旨は理由がない。

そこで刑事訴訟法第三百九十六条により本件控訴を棄却することとして主文のように判決をした次第である。

(裁判長判事 黒田俊一 判事 鈴木進 判事 東徹)

検察官原田重隆の控訴趣意

第一点原判決には審判の請求を受けた事件について判決をしない違法がある

本件公訴事実の要旨は「被告人はいずれも札幌市南五条東二丁目三十七番地の自宅に於て(一)昭和二十四年九月下旬頃菅原夏子に対し右自己所有家屋内二階四畳半一室を(二)同年十一月初頃藤平良子に対し右自己所有家屋内二階三畳間一室を(三)昭和二十五年一月初旬頃三村トキ子に対し右自己所有家屋内二階三畳間一室をそれぞれ貸与するに当りいずれも北海道知事の認可を受けないで家賃の額を一日金二百円と定めそれぞれ賃貸借契約をなしたものである」というにあり、いずれも被告人に対する地代家賃統制令違反の公訴事実であるが立会検察官事務取扱検察事務官は本件公訴提起後の公判経過に於ける証拠調並びに事実審理の情況の推移に照し昭和二十六年三月十三日の第四回公判期日に於て刑事訴訟法第三百十二条により「被告人は昭和二十四年十一月初旬頃札幌市南五条東二丁目自宅に於て藤平良子との間に同人に部屋を提供して売淫せしめ其の収益金を同人と四分六分の割にて分配することを約し以て婦女に売淫をさせることを内容とする契約をしたものである」との予備的訴因並にこれに伴う罰条の追加をなしたのである(記録第八十三丁、裏七行目乃至九行目)。

本件訴訟記録中第四回公判調書の記載によれば検察官事務取扱検察事務官の右予備的訴因並びに罰条の追加の申立に対し弁護人に異議なく裁判所は右申立を許可し(記録第八十三丁裏十二行目乃至十三行目)その後裁判官が被告人に対し右予備的訴因につき質問をなし結審した事が明かである。ところが原判決は奇怪にもその理由末段に於て被告人に対する公訴事実である前記地代家賃統制令違反の事実と予備的訴因である前記昭和二十二年勅令第九号違反の事実とは両者の間に公訴事実の同一性がないから「後者の事実については適法に審判の対象として裁判所に係属したことにならないからこの点について裁判をしないことにした」と判示し前記被告人に対する昭和二十二年勅令第九号違反の事実については何等実体的判断をしていないのである。裁判所が検察官の訴因の追加の請求を許容し得るのは「公訴事実の同一性を害しない限度において」であることは刑事訴訟法第三百十二条の明定するところであるから原裁判所が検察官事務取扱の前記訴因の予備的追加を許容したのは公訴事実の同一性ありと認めたからであると解する他なく又前述のように原裁判所は昭和二十二年勅令第九号違反の点について事実審理を行つているのであるから原判決が判示する如く被告人に対する勅令第九号違反の事実が裁判所に繋属しなかつたものとは到底解し得ないのである。而して刑事訴訟法第三百七十八条第三号に所謂「審判の請求を受けた事件」とは起訴状記載の訴因にとゞまらず刑事訴訟法第三百十二条により追加された訴因をも含むものであることは論を俟たないところであるから畢竟原判決は審判の請求を受けた事件について判決をしない違法あるに帰する。

第二点原判決は左の如き理由によつて理由にくいちがいがあるか、法令の解釈適用を謬つた違法な判決である。

即ち原判決は前述の如く被告人が「昭和二十四年十一月初旬頃被告人自宅に於て、藤平良子に対しその所有家屋内二階三畳間一室を貸与するに当り北海道知事の認可を受けないで家賃額を一日金二百円と定め賃貸借契約を為した」との起訴状記載の訴因と検察官が予備的に追加した「昭和二十四年十一月初旬頃被告人自宅に於て藤平良子との間に、同人に部屋を提供して売淫せしめ其の収益金を同人と四分六分の割にて分配することを約し以て婦女に売淫をさせることを内容とする契約をした。」との訴因との間には「公訴事実の同一性があるということはできない」から「後者の事実については適法に審判の対象として裁判所に係属したことにならないからこの点について裁判をしないことにした」と判示しているがその根拠とするところは次の理由によつて承服し得ないのである。

即ち、原判決は、右両者の間に公訴事実の同一性がない所以を「訴因の変更は刑事訴訟法第三百十二条により公訴事実の同一性を害しない限度に於て許されるものであるから、本件の場合についてみると前者は地代家賃統制令違反の事実を内容としており後者は法律構成において全然異なる昭和二十二年勅令第九号違反の事実を内容としておるので、このように法律的に構成した基本的事実の同一性がない限りたとえ被告人が藤平良子と訴因明示の日時、場所で契約をしたという社会現象としての一面が一致しているからといつて両者間に公訴事実の同一性があるということはできない」と説示しているが、原判決の説くところは、公訴事実の同一性ということと訴因の同一性ということとを混同しているか或は又同一性の判断の基準について通説と異つた見解をとつているやに解せられる。新刑事訴訟法は公訴事実の同一性という概念を取入れたため問題を複雑ならしめ訴因の概念及び訴因変更の要否の問題については学説、判例ともに見解が多岐に亘つているが、公訴事実の概念は、訴因なる概念より外延的に広いことについては争なきところであり且つ公訴事実の同一性を判断する基準が基本的事実関係が同一であるか否かにあることは現在も通説、判例となつているところである(学説としては団藤氏「新刑事訴訟法綱要」九八頁、宮下氏「新刑事訴訟法逐条解説」一五七頁等、判例としては旧法事件についての昭和二十四年一月二十五日最高裁第二小法廷判決、昭和二十五年五月十六日最高裁第三小法廷判決、同年六月三十日最高裁第二小法廷判決、同年七月十三日最高裁第一小法廷判決、同年九月十九日最高裁第三小法廷判決、同年同月二十一日最高裁第一小法廷判決、その他新法事件についての幾多の各高裁判例)。訴因とは、社会的事実としての犯罪事実を厳密に各罰条の構成要件にあてはめた形において法律的に構成したものをいうものと解されるから、訴因に構成される以前の事実は寧ろ前法律的な社会的事実であり、公訴事実の同一性の有無の基準となる基本的事実も勿論法律的に構成される以前の社会的事実としての犯罪事実であると解される。原判決は公訴事実の同一性の有無判定の基準について「法律的に構成した基本的事実の同一性」ということを説いているが、若しそれが、事実が構成要件にあてはめられた形に於て同一であるという事を意味するならばそれは訴因の同一性の問題に帰することになり或は又事実が構成要件にあてはめられた形において同質であるということを意味するならば、事実の同一性判断の基準について所謂罪質同一説を採つたものと解される。基本的事実の同一の有無について原判決の如き見解を採るならば、詐欺と賭博との間に同一性ありと認めた大審院大正十五年三月三日判決、賭博開帳図利と取引所法違反との間に同一性ありと認めた大審院昭和九年三月二日判決、詐欺と賍物収受との間に同一性ありと認めた最高裁第二小法廷昭和二十四年一月二十五日判決、窃盗と賍物運搬との間に同一性ありと認めた最高裁昭和二十五年五月十六日判決、政令第百六十五号違反と窃盗との間に同一性ありと認めた最高裁第三小法廷昭和二十五年九月十九日判決の如きは、何れも「法律的に構成した基本的事実」には同一性がないものと解するより他ないのである。

ところで通説、判例の立場に戻つて訴訟法上の同一性は、法律的に構成する以前の社会現象の同一性によつて決定されるとするならば、次に社会現象の同一性は如何にして決定されるかが問題となつてくる。この点に関し島方武夫氏は「社会現象の内容は不定であるから、社会現象が同一なりや否やは裁判所に訴の変更を許容せる刑事訴訟法の目的から合理的目的論的に決定されねばならぬ」のである。「裁判所は社会現象の異らざる限り訴の変更を為し得るのであるが、訴変更の範囲如何は結局訴訟手続の分離併合の問題に帰着するのであり、訴訟手続の分離併合の背後には訴訟関係人の利益が相対立するのであるから、社会現象の同一性は、訴訟関係人の利益の較量に基いて目的論的に決定さるべきである」とされ「原告官たる検事の利益は、可及的迅速且経済的に刑罰請求権を実現することに存し被告人の利益は訴訟手続の発展過程に於て不当に防禦権を侵害されないことに存する」から「裁判所が事実の認定を異にすることによつて著しく事件の局面を転換し、被告人の防禦権の行使に甚大なる困難を招来するが如き場合には、社会現象が変更せるものと認むべきであり、同一訴訟手続に於て被告人の罪責を問うことは出来ないのである。」(島方氏「刑事判決書の研究」一五七頁)と説いて居られるが、この見解は新刑事訴訟法の下に於ても全面的に妥当するものと思料する。

飜つて本件の具体的事実について右の問題を検討しよう。原判決は被告人に対する地代家賃統制令違反の訴因と、勅令九号違反の訴因との間には「被告人が藤平良子と訴因明示の日時、場所で契約をしたという社会現象としての一面が一致している」のみであると判示しているが、本件に於て、両者は前述の観点から考察して社会現象として同一性を欠くものであろうか。論者も一般的、抽象的に常に地代家賃統制令違反の事実と勅令九号違反の事実との間に公訴事実の同一性があると主張するものではなく本件の具体的事実について両者の間に同一性があることを主張するのである。即ち本件に於て両者の間に行為の日時、場所、当事者の同一性があることは明かであり更に行為が被告人と藤平良子との間に於ける一定の金員授受契約であることも同一である。両者の間に差異がある点は前者は金員の授受が無認可間代の受領であるのに対し後者は一定の利益配分の約定ある売淫契約であるというところにある。ところで本件に於ては、契約当時に於て、その内容が形式的にも実質的にも甲であつたものを、検察官が全然別個の乙という内容の契約として起訴したところ、裁判所の審理の結果甲であることが判明したという関係にあるものではなく本件の契約は契約当時より契約当事者間に於て契約内容の実質は乙であるが、形式的には甲という契約内容をしておいたのを被告人が警察、検察庁での取調に際してはその契約の形式をとつて甲という契約内容であると主張したので検察官は甲として起訴したが被告人は公判廷に於てはその契約の実質をとつて乙という契約内容であると供述するに至つた関係にあるのである。即ち本件被告人は警察、検察庁での取調を通じ終始藤平良子外二名の女との間の契約は藤平等に自己所有家屋の各一室を間貸をして間代として一日金二百円を受領することを約束したものであると主張し続けて来たが、公判廷に於てこれを飜し藤平等を接客婦として雇入れ客をとらせてその利益を四分六分の割合にて分配することを約定したものであると供述するに至つたものであるが、被告人自身公判廷に於て「外向は、一日の部屋代として二百円(公判調書の記載には三百円とあるが二百円の誤記と解される)を貰うという契約にしているが実際は部屋代として別に徴収はしない同業者は皆一日の収入の中六分を食費代、部屋代、布団代として主人がとり四分を女に渡すようにしているのです」(記録第二十四丁表十二行目乃至同丁裏十行目)と述べ更に外向を部屋貸という形式にした理由につき、「当時勅令違反が非常に取締が厳しかつたので部屋を貸していると云う名目で営業をしていたのです」(記録第八十二丁裏六行目乃至九行目)と供述している。更に本件被告人の取調に当つた札幌市中央警察署巡査部長佐久間貞次は原審に於て証人をして、被告人に対する「取調を開始した当時、被告人の管轄にある交番に対し被告人の同業者で女に部屋を貸して商売を営んでいるところがあるかどうか調査させたところ、その様なところはないと云う回答であつたのです。それで被告人に対し歩合制ではないかと何回も尋ねたのですがその様なことはなく女に部屋を貸していたのだと云うので地代家賃統制令違反と認定したのです」(記録第八十丁裏第三行目乃至第八十一丁表二行目)と供述している。右の事実によつてみれば、本件契約はその実質に於ては売淫をなさしむることを内容とする契約であるが、勅令九号違反の取締が厳重だつたので形式的には部屋の賃貸借契約という事にして置き、被告人は検挙されて後も警察、検察庁での取調を通じ勅令九号違反に問われることを虞れて(被告人は昭和二十五年三月七日札幌簡易裁判所に於て勅令九号違反により罰金一万円に処せられている……記録第三十八丁)間貸契約であると主張し続けたが、地代家賃統制令違反に問われたので、公判廷に於て、契約内容の実質を供述するに至つたものであることを推認するに十分である。

要するに、本件に於ける被告人と藤平良子との間の契約は原判決の判示する如く「被告人が藤平良子と訴因明示の日時、場所で契約をしたという社会現象としての一面が一致している」に止まらず単一の契約内容そのものが外面的形式的には間貸契約であり内面的実質的には売淫契約なのであつて、両者は同一の社会事象の表裏をなす関係に在るのである。

ところで前述の如く社会現象としての事実は窮極に於ては、刑事訴訟法の目的から合理的目的論的に決定されねばならないのでこの点について考察することにする。原告官たる検察官として本件につき可及的迅速且経済的に刑罰請求権を実現するためには、本件訴因の予備的請求が許容せらるることに利益を有することは云う迄もないところであるが、他方被告人はこれがために不当に防禦権を侵害されることになるであろうか。新刑事訴訟法の下にあつては、検察官が訴因として審判の主題、範囲を提供した事実について被告人が十分防禦方法を講じ得ることによつて被告人の利益の保護には欠くるところがないわけであるが本件に於ては起訴状記載の訴因が地代家賃統制令違反であつても検察官が予備的訴因として、勅令九号違反の事実を追加した事は被告人にとつても明かな事であるから被告人はそれ以後は後者の点について十分防禦方法を講じ得るわけであり被告人が防禦方法を講じていた対象とは全く別個の事実を認定され有罪の言渡を受けるという不利益を蒙る虞は全然存在しないのである。単に、それ許りでなく、両者の間に公訴事実の同一性がないものとされるなら、被告人は新に勅令九号違反の事実によつて訴追を受けることとなり、被告人自身時間的にも経済的にも種々不利益を蒙る結果となるのである。更に又刑事訴訟手続の理想は、一面に於て訴訟当事者の利益の保障を全うしつつ窮極的、本質的には事案の眞相を明らかにし、刑罰法令を適正且つ迅速に適用実現することにあり他面訴訟手続の経済という事は刑罰権の主体である国家の利益にも合致するのである。要するに本件について社会現象即ち基本的事実が同一であるとし地代家賃統制令違反の訴因と昭和二十二年勅令九号違反の訴因との間に公訴事実の同一性ありとして後者の予備的追加を許容することは、単に原告官たる検察官の利益にとどまらず、被告人自身の更に又刑罰権実現の主体たる国家の利益にも合するものである。以上述べたところを要約するに、いかなる点から見ても本件にあつては、地代家賃統制令違反の訴因と昭和二十二年勅令第九号違反の訴因との間には公訴事実の同一性があると云うべきであり、検察官が予備的訴因として追加した後者は適法且つ有効に裁判所に繋属し裁判所の審判の対象となるべきものである。然るに原判決が、前述の如き理由を以て、両者の間に公訴事実の同一性なしと判示しているのは理由にくいちがいがあるか、刑事訴訟法第三百十二条の解釈適用を謬つた違法ありと非難する他ないのである。

第三点前記第一点及び第二点は本件につき地代家賃統制令違反の事実と昭和二十二年勅令九号違反の事実との間に、公訴事実の同一性があることを理由に原判決の違法を指摘したのであるが、仮に百歩を譲つて右の点については原判決の判示する如く両者の間に公訴事実の同一性なしとするならば原判決には次に述べるような訴訟手続の法令の違反があり該違法は判決に影響を及ぼす事が明らかなものである。即ち公訴事実の同一性の問題について消極に解するならば原審が検察官の前記予備的訴因及び罰条の追加請求を許可した事は明かに、刑事訴訟法第三百十二条第一項に違背する訴訟手続の法令違反があるが該法令違反は左の如き理由によつて、原判決に影響を及ぼす事が明かなものである。この点につき原判決は許可すべからざる予備的訴因及び罰条の追加請求を許可したので、これを終局判決に於て、是正したのであるとの見解も成立つであろうから、この点について考察を加えることにする。新刑事訴訟法に於ては徹底した当事者主義が採用されたことは云う迄もないところであり、その結果裁判所の審判の対象は原告である検察官が提起した訴因に限定され専らこれを対象として検察官の主張立証がなされ、これに対し、被告人側の主張反証の提出がなされ、訴因を中心に原告官側被告人側の攻撃防禦が展開されることになつたわけである。されば明文の規定はないが検察官側の攻撃方法と被告人側の防禦方法とは常に対等であらねばならず、被告人が検察官の攻撃に対し十分防禦方法を講じ得るようにしてある諸規定の存在から見ても、原告官たる検察官としても常に攻撃の対象を明確に認識し、的確な攻撃方法を講じ得るのでなければ当事者主義の均衡を失することになる。

そこで本件の場合についてみるに、検察官としては被告人に対する勅令九号の訴因の予備的追加が裁判所に許容された結果本件公訴事実の立証については地代家賃統制令違反の事実については証明十分でないとしても第二次的な攻撃目標である勅令九号違反の点については、立証十分であると考え、即ち、十分攻撃方法をつくしたと考え有罪判決を受け得る確信の下にこれ以上の攻撃方法の提出をなさなかつたのである。

然るに、原判決は、前述の如く検察官の予備的訴因並びに罰条の追加の請求に対し一旦これを許可し、剰え自らこの点に関し被告人に対する質問迄し乍ら終局判決に於て、唐突として、右の訴因は当初から裁判所に繋属しなかつたものと判示し、原告官たる検察官としては、更に本来の訴因、即ち被告人に対する地代家賃統制令違反の事実に関し被告人の反証即ち防禦方法に対する新な攻撃方法を講じ更にこの事実についての他の攻撃方法を準備しその立証に全力を注いだに相違なくその結果は被告人に対し地代家賃統制令違反の事実を立証し有罪の判決を獲得するに足る証拠を提出し得たかもしれないのである。したがつて公訴事実の同一性の問題について消極的な見解を採るならば裁判所が検察官事務取扱のなした訴因の予備的追加請求に対する許可決定という訴訟行為は、単に刑事訴訟法第三百十二条第一項に違背する許りでなく、右違法は新刑事訴訟法の根本的な趣旨に背馳し、判決に影響を及ぼすことが明らかなものである。果して然らば、公訴事実の同一性の問題について原判決判示の如く消極に解するとしても原判決には訴訟手続に法令の違反があり、該違反が判決に影響を及ぼすこと明らかな違法の判決である。

以上の理由によつて、原判決は到底破棄を免れないものと信ずる。

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